■アパレル販売員の接客技術■

第2章 掃除をする本当の意味(後編)

掃除②

皆さんこんにちは!スプレッドファッションイズム、高橋です。

今回は、掃除をする意味ついて前回の続きからレクチャーしていきます。

 

前回は汚れに気づける人=お客様にも気づける人=売れる人。という話をしました。

今回はその続きの掃除をすると人生が輝く方程式の話です。

 

掃除は至る所で“良い事を引き寄せる”、“運命や人生を変える”と言われています。

また、『日本を美しくする会 掃除に学ぶ会』という会が発足し、“トイレがキレイになると会社が変わる”という概念の下、学校のトイレを借りてトイレを掃除するという活動が全国で広がってるそうです。

トイレ掃除という行為で自分を下座に置く事で、謙虚な気持ちになる事が狙いだそうです。

 

また、巷で人気のスポットは賑わってるにも関わらずトイレがキレイだったり、逆に人気の無い所は混んでないのにトイレが汚かったりしませんか?

ディズニーランドとその他の遊園地を比べると分かりやすいと思います。

 

①トイレ掃除は心の掃除

人生を輝かせる、将来幸せになるためには心のキレイさが大事です。

でも、心は見えません。

心がキレイかどうかは目で見る事が出来ないので確かめる事が出来ません。

そこで、目の前にあるもの、例えば汚れたトイレを磨いて磨いてキレイにする事で、自分の心はどんどんキレイになっていく。と考えられています。

 

勿論キレイにするのはトイレだけではありませんが、トイレは最も汚れている所です。

そこをキレイに出来るかどうかが大事です。あなたのお店で一番汚い所はどこでしょうか?

あなたはそこを誰よりも徹底して掃除していますか?

 

人の心ははいつも見ているものに似てきます。

だから、。身の周りをキレイにしようとしている人は心を磨いている事になり、心がキレイになっていくのです。

逆にいつも汚い所にいると、それに慣れていきます。汚い事が平気になっていくと、どんどん心がすさんでいくものです。

 

②掃除の心

“ポイ捨て”した事ありますか?

心がキレイな人は自分が出したゴミをその辺に捨てるポイ捨てなんかしません。

ポイ捨てする人は、ほとんどがやむを得ない事情でどうしても仕方なく捨てている訳ではありません。

「面倒くさい」

「このぐらいきっと大丈夫」

といった軽い気持ちで捨てています。

 

しかし、世の中にはそれを拾っている人がいるのです。だから道路がゴミで溢れる事が無いのです。

ゴミを拾う人の気持ちをポイ捨てする人は考えた事があるのでしょうか?

それを考えずに気軽にポイ捨てする人はゴミと一緒に“人間性”まで捨てているような気がします。

 

また、居酒屋や駅のトイレ等に入ると、メチャメチャ汚い事があります。

「このぐらい良いだろう。」

「自分だけじゃないだろう。」

「店に人が掃除するだろう。」

「最初から結構汚かったし。」

等といった、気軽な気持ちだと思いますが、こんな事を考える人は人としてどうかと思ってしまいます。

 

例えば、舛添さんで話題になった飛行機のクラスで言うと、ファーストクラスのトイレとエコノミークラスのトイレでは清潔感が全く違うらしいのですが、それは何故だと思いますか?

 

CAがファーストクラスの方を大目に掃除している。という訳ではなく、掃除の回数は一緒らしいのです。

 

それは、ファーストクラスに乗れる人というのは収入の高い人です。その人達が収入が高いのには理由があるという事です。

次に使う人の気持ちや掃除をする人の気持ち等、人として大事な事に気づく事が出来る人だから、仕事も順調であり、その結果として収入も高いという訳です。

人として大事な事が欠けているのにファーストクラスに乗っていると、そのメッキはいずれ剥がれるという事でもあると思います(笑)

 

③如在(にょざい)の心

如在の心とは、“そこに在るが如く”という意味で、説明すると

人は誰も見ていないと思うと「誰も見ていないし、今日ぐらい良いよね。」と手を抜いてしまいがちです。

そこで、”常に誰かがそこに居ると思って行動しなさい“という事です。

 

昔は悪い事をすると、「そんな事してると、おてんとう様が見ているよ。」と言われました。

また、2015年にノーベル生理学・医学賞を贈られた大村智さんが、そこに導いてくれた言葉として『至誠天通』と言っています。これは、元は大昔の孟子の言葉で

「まごころをもって事に当たればいつかは認められる。」

「まごころをもって接すれば、それは天まで通じて、必ず人を動かすものだ。」

といった意味です。

 

これに派生した言葉として上野の西郷さんでお馴染みの西郷隆盛が

「人を相手にせず、天を相手にせよ。

天を相手にして、己を尽くし、

人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。」

と言っています。これは、

「人を相手にするから、その人が見てない所でバレなきゃ良いやと手を抜く。

そうじゃなくて天を相手に仕事をすれば、天はいつも見ているから常に正しい事が出来る。

そして、自分の精一杯の事を手を抜かずにやる事。

そして決して周りのせいにしない事、周りのせいにしたくなったら“自分の誠意が足りなかったのではないか?”と考えなさい。という意味です。」

 

 

これが掃除をする=人間力が磨かれる=人生が輝くものになる

の方程式の説明です。

 

いかがでしょうか?

 

もしあなたが、これを“ただの精神論”で片づけてしまうのだとしたら、それこそが人間力が足りていない何よりの証拠かもしれません。